「日本国」はいつ誕生したのか?
大唐(もろこし)の女帝・則天武后に、初めて「日本」という国号を認めさせたのは、大宝二年(702年)の遣唐使の使節団でした。それまで「倭人」と蔑まれてきた極東の島国の民族が、初めて「国家」を樹立したことを世界に宣言したのです。 「旧唐書」に曰く、「倭国自らその名の雅(みやび)ならざるを悪(にく)み、あらためて日本と為す」というわけです。少録して随行していた万葉歌人の山上憶良は、その時の高揚感を帰国の船中で、こう歌い上げました。
いざ子ども 早く日本へ 大伴の御津の浜松 待ち恋ひぬらむ 山上憶良
「とうとう俺たちの国を創ったぞ!日本という国だぞ!」と小躍りする憶良の姿が目に浮かぶようです。
私たちの日本国は、いつとも知れず漠然とできあがったわけではありません。古代の先人たちが、確固たる意思をもって、壮大なヴィジョンを描き、幾万人の夢見る力を結集して創出した、誇り高い、巨大な夢の結晶、それが日本国だったのです。
「倭」から「日本国」へ。この建国作業は、二つのプロジェクトで推進されました。民族を一つのまとまった共同体として「国家」たらしめるに不可欠の条件。その一つは、「律令」。即ち、律(法)と令(税)の制定です。これは名高い「大宝律令」によって確立されました。そしていま一つ「国家」になくてはならないものが、その国の履歴書ともいうべき、国土と民族の生い立ちを記した歴史書、「国史」でした。すべての人々が共有できる国史があってこそ、人々は、そのアイディンティ(国史)のもとで、一つの国の国民としての自意識をもち得るのです。「貧困で滅んだ国はない。しかし、文化を失った国は滅亡する」という教訓どおり、一国のかたちを形成する上で、民族が共有する固有の「文化」はなくてはならないものでした。国力とは、その国が内包するソフトパワー(文化力)によって計られるものです。「国史」こそが、その国の文化力の原点でもあったのです。そうした意志のもと、和銅四年(711年)の秋、遷都間もない平城京において、時の女帝元明天皇が国史の選録を命じるのです。勅命を受けたのは太安万侶(おおのやすまろ)。安万侶は、語り部の稗田阿礼(ひえだのあれい)とその一族である俳優人(わざおぎびと)の一団を平城宮の東院玉殿に招集して、各地に伝承される民話や旧辞(ふるきことば)の編纂にとりかかりました。こうして誕生したのが「古事記(ふることふみ)」です。
「古事記」は、日本誕生の神話から出発し、国造りの理想を追い求めます。ー 自分たちはいかなる民族なのか?、大王(天皇)の原点はどこにあるのか?、自分たちはどこから来て、どこへ行こうとしているのか?「古事記」が求めたものは ーそうした民族の原点さがしでした。あれから千三百年の時を経て、私たち日本人はどんな理想の国を形成してきたでしょうか。私たちは、いまも日本人であることに誇りをもっているでしょうか。 いまも祖国を愛しているでしょうか。
国家の軌道に過ちはなかったでしょうか。 これから「日本」はどこへ行こうとしているのでしょうか。これらの問いの答えを求めて、私たちはいま一度、いにしえの国造りの情熱に燃えた万葉人たちにならって、「古事記」の旅に出てみたいのです。
日本人のルーツを探る壮大な旅、悠久の彼方へ!
これまでにも、「古事記」に登場する英雄たちは、スサノオノミコト、オオクニヌシノミコト、ヤマトタケルノミコトなど、さまざまに劇化されてきました。しかし、「古事記」の全体宇宙と、「古事記」が創られた時代背景を網羅したスケールでの演劇は、未だに存在していません。また、それらが描き出されなければ、「古事記」の本当の魅力は堪能できないのです。
太古の神話と平城京の律令体制が対決する、時空を超えて繰り広げられる人間ドラマ。
「古事記」が語る伝承は、勅命であるにも関わらず、決して王権を賛美し、王権の歴史を正当化するという目的で編まれてはいません。むしろ、王権から阻害されたり、逆らったりして非業の最期を遂げた神々や英雄たちへの哀悼の意がこめられています。そこが、「日本書紀」との決定的な分岐点になるところであり、単なる史書というだけでなく、文学書としても高く評価されている所以でもあります。かと言って、「古事記」は敗者の書でもありません。「古事記」の神々や英雄たちは、どんなに虐げられても、殺されても、必ず、何度となく甦ってきます。「古事記」は、日本のすべての祭事の根本がそうであるように、死と再生を謳い上げるドラマなのです。
現在世界の若者に圧倒的に支持されて、日本の新しい文化の一つといわれているジャパニメーションは、正に「古事記」から受け継がれたファンタジーの世界観なのではないでしょうか。
日本人が世界に誇れる「日本神話」の復興を原動力に、日本中に元気を取りもどさせる演劇文化をめざします。
「古事記」は死と再生のドラマ。輪廻転生と甦りが主題の歴史ロマン大作です。
市川森一
1941年4月17日、長崎県諌早市生まれ。
日本大学芸術学部卒業後、1966年「快獣ブースカ」で脚本家としてデビュー。
ウルトラマンシリーズなど子供向け番組を手掛けた後、「傷だらけの天使」、「淋しいのはお前だけじゃない」、大河ドラマでは「黄金の日日」、「山河燃ゆ」「花の乱」など大ヒットドラマを数々と世に送り出した。
また、脚本家という職能の社会的認知向上のため、様々な活動に尽力した。
日本放送作家協会理事長を長くつとめ、文科省中教審や文化庁国民文化祭などの委員、そして故郷でも長崎歴史文化博物館名誉館長等を歴任した。
2011年12月10日永眠。享年70歳。
撮影:八雲浄麿
夫・市川森一がライフワークの一つにしていた「古事記」。実際にシナリオ化されたのは、NHKのオーディオラジオドラマで、三年間に亘って、古事記の上・中・下巻をドラマにしました。その内容は市川らしいドラマティックで、ファンタジックで、スペクタクルに富んだものでした。
これを古事記編纂一三〇〇年の昨年、「楽劇 古事記」という形で舞台化しようと考えていました。それが市川の手では叶わぬこととなってしまいましたが、市川の古事記の世界に共感して下さった方々が集結して、このような舞台にして、皆さまにご覧いただけますことは最上の喜びです。
出演者はバレエダンサーとして油の乗り切った西島千博さん、テレビや映画、ミュージカルでも大活躍なさっています。しかも公演ご当地宮崎県のご出身です。それに舞の妙手浅野瑞穂さん、その美しい舞い姿は天女の舞と称されています。そしてオペラ歌手の河野鉄平さん。豊かなバスの美声で、将来を期待されている方です。
この方々と共に作り上げていく舞台がどんなものになるか・・・
それはそれは素晴らしいステージになること間違いありません。
何故なら、この公演の本当の意味での総指揮者は、市川森一そのものだからです。
皆様、どうぞ楽しみになさっていて下さい。
タイトル | 市川森一原案×マークエステル神話絵画 Super神話Musical ドラマティック古事記 ~神々の愛の物語~ |
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日時 | 平成27年3月14日(土) 福岡 昼、夜公演 <昼の部> 開場12:15 / 開演13:00 <夜の部> 開場17:15 / 開演18:00 |
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会場 | キャナルシティ劇場
住所:福岡県福岡市博多区住吉1-2-1キャナルシティ博多4F [ 地図を見る ] |
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チケット | S席:8,000円(税込) A席:6,000円(税込) ↓チケット購入窓口はこちら↓ |
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出演予定者 |
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原案 | 市川森一 | ||||||||
脚本 | 市川愉実子 | 製作 | 市川本古事記製作プロジェクト | ||||||
映像絵画 | マークエステル (マーク・アントワーヌ・スキャルシャフィキ) |
芸術監督 演出・振付 |
西島数博 | ||||||
振付 | 花柳達真、浅野瑞穂、DKⅠカンパニー | 衣装 | 時広真吾 | ||||||
音楽 | 松本俊行 | 声楽指導 | 山口正義 | ||||||
後援・協賛 | パナソニック、(株)のむら | 主催 | ドラマティック古事記in福岡実行委員会 九州経済フォーラム (一社)地域企業連合会 九州連携機構 |
市川森一が描く壮大なスケールのドラマチック古事記、それはファンタジーあふれる「神話絵巻」。
「かがり火のもと、お集まりの皆様方、昔語りをご所望か?」と言う語り部の口上で始まるこの舞台は、まるで横長の絵巻物のように、語り部の言霊にのって様々な情景や物語が次々と展開されます。天地初発(天地の始まり)から、国生み、神生み、森羅万象の誕生、黄泉の騒乱、夫婦神の別れ、三貴神の出現。
そして空前絶後の天岩戸の大事件を通して展開するアマテラスとスサノオ、姉弟の葛藤と骨肉の情愛の物語です。ファンキーにハジけて、ファンタジーで魅了し、情愛で泣かせるビューティフルな神々の伝説。
さあ、舞台いっぱいに広がる神話絵画を背景に、舞、語り、歌と太鼓で綴られる幽幻の神代絵巻物をひもときましょう。
第1章 (50分) |
イザナキとイザナミ天地初発から三貴子の誕生まで
宇宙の胎動(シルエットダンス)から始まり、やがて一対の夫婦神、イザナキとイザナミが出現する。二人は大いなる希望と麗しい夫婦愛で、大八島(原始の日本)を誕生させ、森羅万象を精力的に造っていく。その途上、火の神を産んだ時にイザナミは非業の死を遂げる。妻を恋うるイザナキは、イザナミを呼び戻しに死者の国(黄泉)へ行く。イザナミは、黄泉に踏み入ってきたイザナキの前に、恐しく変わり果てた死者の姿を晒してしまう。それを目にしたイザナキは恐怖で逃げ出してしまう。イザナミは烈火のごとく怒り、魑魅魍魎(チミモウリョウ)を従えてイザナキを追う。追いつかれたイザナキは命を奪われそうになるが、その時、奇跡が起きる。かつて夫婦神が理想の地上界造りのためにこの世に生み出した子供神・森羅万象たちにイザナキは救われたのだ。イザナキは、命からがら黄泉から脱出する。そして最後の呼びかけをするイザナキとイザナミ。「私はあなたの国の民を、一日に千人づつ殺してあげますよ。あなたが、永久に私のことを忘れぬように・・・」とのイザナミの呼びかけに応えるイザナキ。「お前が我が民を、一日千人殺すと言うのなら、私は一日に千五百人の子供を、この世に誕生させてみせよう。お前への変わらぬ愛の証のために」黄泉の国から戻ったイザナキは、身の汚れを浄めて、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三貴子をこの世に出現させて、静かに去るのだった。
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20分休憩 |
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第2章 (50分) |
アマテラスとスサノオ天ノ岩屋戸伝説
イザナキが誕生させた3人の神の一人、スサノオの破壊神ぶりには、親のイザナキもお手上げ。とうとう追放されたスサノオは、母の幻影を宿すアマテラスに会いに高天の原を目指す。アマテラスは、スサノオが侵略に来るもの思い臨戦態勢で待ち構えるが、スサノオは、侵略の意思のないことの証のために、誓約(うけひ)という一種のゲームを提案。互に相手の持ち物を交換して子を生み、競うというものだが、まさかのアマテラス敗北!?深く傷ついたアマテラスは、天の岩屋の奥深くに閉じこもり、この世は闇に閉ざされてしまう。失意に沈むアマテラスに、イザナミは真実の神としての心得、最高神の気高い魂を伝授する。そして最高神アマテラスは、岩屋の中で静かに力強く復活を遂げ、天界の力神タジカラオに岩屋の戸を開くことを命じる。この世に再び昼が戻ってきた。最高神として揺るぎない力が備わったアマテラスは、あらためてスサノオ追放を宣言する。神々の祝宴の一方、スサノオは一人、高天の原から去っていく。自分の愚かさを嘆き、姉への純粋な想いを高らかに歌うスサノオ。スサノオの感涙は、大きなボタン雪となってアマテラスやタジカラオの上に優しく降りかかるのであった。
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イザナミ/アマテラス 浅野 瑞穂 1991年中国民族舞踊を学び、北京公演等、数々の舞踊公演で活躍。1996年退団後、古代より伝わる巫女舞と出会い、その法則・音魂・形魂を学びながら自らのオリジナルスタイルの舞、「瑞穂舞」を創始する。その天界を舞うような美しい舞スタイルから 「天女の舞」と呼ばれる。 伊勢神宮、出雲大社、醍醐寺、三井寺などの神社仏閣に舞を奉納するとともに、日本の古典・民俗芸能、韓国古典舞踊などと意欲的に共演しながら、新たな東洋的身体の可能性を拓いている。 その舞の独自の身体表現が、世界に類を見ない新しいスタイルの舞であると舞踊関係者から高く評価されており、 2012年6月27日、福島県商工会議所女性会連合会主催により、「いにしえよりの祈りを込めて福島復興祈念公演」並びに「福島野馬追い」において相馬中村神社で舞った。 同月30日には渋谷ヒカリエホールで開催された話題のスーパープレゼンテーション「TEDxTokyo2012」において舞を披露した。主な出演作品に 一中節『道成寺』(国立劇場小劇場)、 朗読活劇 「レチタ・カルダ『義経』 (芝増上寺、京都壬生寺、池上本門寺)などがある。 |
イザナキ/タジカラオ 西島 千博 人間国宝の舞踊家 石井漠の門下生であった祖母から受け継ぐ三代目として生を受け、宮崎県の伊達バレエスクールで3歳よりバレエを学ぶ。フランスの国際コンクール第1位受賞後、サンフランシスコ国際フェスティバル日本代表ダンサーに選出される等、国際的に活躍。TVドラマ「池袋ウエストゲートパーク」で踊る俳優として一躍注目される。主演映画「るにん」で松坂慶子と共演、米ロスの映画祭グランプリ受賞。小池修一郎演出「ジャンコクトー 堕天使の恋」主演、パパイヤ鈴木「スーパーダンスバトル」全 国ツアー、真矢みきW主演「スターダストイン上海」や西村雅彦と音楽劇「兵士の物語」全国ツアー、行定勲演出「見知らぬ女の手紙」中嶋朋子と共演など活躍中。また独自の演出・振付・プロデュース「世界にひとつだけの華達」全国5ヵ所7公演を開催、常に躍進するプリンシパルダンサー。 |
語り部 柴田 美保子 女優。1948年生まれ。大阪市出身。大阪の児童劇団を経て、1964年 NHK連続ドラマ「チコちゃん日記」で主役デビュー。その後「あかんたれ」「おていちゃん」「銭形平次」「必殺仕掛人シリーズ」などテレビ、「横掘川」「惜春」「若親分シリーズ」「緋牡丹博徒シリーズ」、伊丹十三監督作品「マルサの女2」「静かな生活」(等5作品) など映画の出演や舞台で活躍。1981年から6年半に渡りテレビ朝日「モーニングショー」の司会を務める。女優業のかたわら、1990年からブティック経営も。 2012年9月「古事記編纂1300年イベント、神々の宿る島壱岐・響きあう魂たち」に語り部として出演。2013年1月古事記絵巻「東儀秀樹と賢者たち」に語り部として出演。 2013年 4月「舞語り 市川本古事記 神代ものがたり」に語り部として出演。2013年5月出雲大社「平成の大遷宮」奉祝奉納公演「絵と音と舞のコンサート~出雲に捧ぐ~」に語り部として出演。夫は脚本家・市川森一。 |
タケハヤスサノオ 河野 鉄平 福島県生まれ。米国コネチカット州Kent Schoolで声楽に出会い音楽大学に行く事を決意。その後、オハイオ州クリーブランドにあるCleveland Institute of Musicで声楽専攻として大学、大学院を卒業。2003年にカリフォルニア州San Francisco Opera CenterのMerola Opera Programで研修生として参加。2004年にシカゴに移り、Roosevelt UniversityのChicago College of Performing ArtsとChicago Opera Theatreに入学、オペラ専攻で2006年卒業。2006年夏、シンガポールでモーツァルト作「フィガロの結婚」の主役フィガロとしてインターナショナルデビュー。シンガポールで初のフィガロを演じた。2012年12月に第22回日本クラシック音楽コンクール一般男性の部で最高賞受賞する。 |
佐藤健作 和太鼓奏者
和太鼓歴30年余。霊地・戸隠にて稽古の日々を送る。他の追随を許さぬ圧倒的打法と、高い技術力・表現力で和太鼓の新たな世界を切り開き、「和太鼓に選ばれた男」と称される。’98年「サッカーワールドカップ・仏大会閉会式」にて、大太鼓を演奏。’08年「文化庁主催第63回芸術祭」にて、和太鼓界初の「新人賞」を受賞。個人所有世界最大の四尺三寸大太鼓「不二(ふじ)」を操るダイナミックかつ精神性溢れる演奏で人々を魅了。’11年、能楽師津村禮次郎氏と共にロシア公演。また、東日本大震災被災地で「祈りの公演」を行う。「不二プロジェクト」を開始。’11年陸前高田市にて、’12年に宮城県石巻市にて無料公演を行う。日本人トップバレエダンサーによる震災復興支援公演「オールニッポンバレエガラ」に出演。’12年9月、酒井はな氏、津村禮次郎氏共演のオリジナル作品「ハレの祭典」をさいたま芸術劇場にて初演。同年10月。米ヒューストンにて、ドミニク・ウォルシュ・ダンス・シアター公演「UZUME」に出演。’13年2月、セルリアンタワー能楽堂公演「Shakkyou」で森山開次氏、津村禮次郎氏と共演。同年5月には出雲大社「平成の大遷宮」奉祝奉納公演「出雲に捧ぐ」にて森山開次氏との共演作品を上演。
時広真吾 衣装デザイナー 「文学的な叙情」と評される衣装、その独創的な感性で生み出すスタイルは、国内外の舞台で高く評価されファンも多い。85年にオフィスリリック設立。91年にモーツァルトのオぺラ「魔笛」より、舞台衣装デザイン開始。以後、ユネスコ世界遺産記念コンサート(於:奈良東大寺)、97年国立劇場開場30周年記念新作じょうるり、04 年イスターナブダヤマレーシア国立劇場、新潟市りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ(~ 09年)。06年ルーマニア国際シェイクスピア フェスティバル、08年ヨーロッパ5カ国の演劇祭に招聘公演、 11 年クアラルンフプールとペナンのパフォーミングアーツセンーにて、衣装展開催。和太鼓芸能集団「鼓童」、早乙女太一、松井誠、市川笑也、東儀秀樹などの衣装を手か?ける。 舞台衣装のワークショップ?は国内、韓国、マレーシア、タイ、ベトナムなど海外。国際文化 交流基金主催「時の夢」、中国・鎮江市主催「情縁七夕」て?の日中合作「七夕星物語」を担当。 また、国内各地で地元のアーティストたちと創る「美の種」プロジェクト等がある。作品集は「美し男・預言ー青蓮」など6冊上梓。 デザイナー、写真家、詩人、パフォーマーをこなし、海外ではオールラウンド・アーティストとして評価される。 |
青蓮 (せいれん) 衣装デザイナー時広真吾の専属パフォーマーとして、国内はもとより、中華人民共和国、マレーシアでの時広の衣装展並びに日本の友好事業のなどに招聘され舞台に立つ。演技でもダンスでもない衣装に語らせる独自の表現形式「装艶」の創始者。その存在感は登場した途端、空気を変えると評価されている。 |
マークエステル
(マーク・アントワーヌ・スキャル シャフィキ)
ヨーロッパで800年続く名門貴族の家庭に生まれる。 両親が経営する「ル・カップエステルホテル」には、世界中のそうそうたる名士が集い。恵まれた環境で育つ。ラオス・フランス大使館勤務、1969年モーリスシューマン外務大臣の秘書となる。1970年大阪万国博に訪れ、京都清水寺で和紙に描かれた水墨画の滲み技法に魅せられ、画家に転身。ガラス工芸、漆、ブロンズ、シルク生地によるセリグラフの制作をはじめ、74年ピエール・カルダン、ピエール・バルマンがオートクチュールで使用し、ヴォーグ誌の特集を受ける。89年、銀座ソニービル全館を使用した個展や東急文化村オープニング記念企画で個展を開催。 2003年、銀座にて「神話の世界展」開催した。 06年画集「日本神話by Marceste1(約200点の作品を掲載)を7カ国語で出版。2007年、神社庁より外国人初の文化奨励賞を寄与される。08年北京オリンピック開催記念のテレホンカードに作品が起用される。09年南仏RETIF美術館に出展。上海万博にアートディレクターとして参画。パリ、ニューヨーク、ロンドン、シンガポール、北京、上海など、国内外にて個展を多数開催。伊勢神宮より作品奉納の依頼を受けたことを機に、全国の神社に作品奉納を行っている。現在 120社 サロン・ドートンヌ アジア代表。
http://marcestel.jp
公演は終了いたしました。
市川本古事記制作委員会 事務局
(一般社団法人 地域企業連合会 九州連携機構)
TEL. 092-451-8610 担当:神代、鈴木、謝、斉藤
一般財団法人 市川森一脚本賞財団
市川森一脚本賞 http://www.ichikawa-kyakuhon.com
MARCESTEL(マークエステル)『日本神話展』