代表者挨拶

代表 小早川 明德

あけましておめでとうございます。愈々、平成30年(2018)の幕開けです。「30」は、漢数字で書けば「世」という字になります。所謂 " 一世代(ひとせだい)30年 " だと言われています。その " 時機(とき) " を契機にして、翌31年には天皇陛下御譲位による新たな「元号」が発布され、新たな「御代(みよ)」が始まるのです。

さて、我が国にとって新年は、「明治維新150年」となります。慶応3年10月、江戸幕府 第15代将軍 徳川慶喜によって「大政奉還」がおこなわれ、12月 王政復古の大号令のもと、幕藩体制に終わりを告げ、慶応4年3月、明治新政府が基本理念とした「五箇条の御誓文」は、天皇陛下が天地神明に誓われるかたちで宣布 され 、慶応4年 元号を「明治」と改め宣布されました。時を移して明治22年(1889年 )2月11日、「大日本帝国憲法」が公布され近代国家としての基礎が固められて行ったのです。
ここで、私達が少年時代に学んだ「五箇条の御誓文」を、改めて、「今」時点の感覚で読み直してみたいと思います。

1. 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
1. 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
1. 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マザラシメン事ヲ要ス
1. 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
1. 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇貴ヲ振起スベシ

ここに近代日本の民主主義への画期的イノベーションが、天皇御親政の下に宣誓されたのであったことを改めて知ることが出来ます。一般的には、我が国の民主主義は、大東亜戦争の敗戦後、いわゆる " 戦後 " においてアメリカによってもたらされたということが言われて来ましたが、極めて日本的で自発性に富み、決して " 輸入" されたものではないということが明白であるわけであります。
今ひとつ、この五箇条の御誓文が、その後、時を経て昭和天皇によって、戦後の我が国の新しい旗印として掲げられていたことは、今日、案外見過ごされているのでは無いでしょうか。

昭和天皇は、昭和21年1月、「新日本建設に関する詔書」を発せられ、その冒頭に「茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇、明治ノ初、国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。(中略・五箇条の御誓文) 。 叡旨公明正大、又何ヲカ加へン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民挙ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図り、新日本ヲ建設スベシ」と。しかも、同じ詔書に「人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努力ヲ」「人類ノ福祉ト向上トノタメ、絶大ナル貢献ヲ」と未曾有の敗戦という国家の一大危機に際しても、なお、我が国の国際社会での役割に言及され、「其ノ心ヲ一ニシテ自ラ奮ヒ自ラ勵マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。」と、まさに「一年ノ計ハ年頭ニ在リ」て宣布されたのです。

そして、今、我が国は、明治以降の近代日本において「第3波の変革の時代に在る」と思います。大きな歴史の節目となる今日、明治維新の検証は今後の日本を考える上で非常に重要な意味を持ちます。明治維新の中心的役割を果たした薩長土肥の地政学的意味と、維新の群像に見た藩校.私塾や藩挙げて取り組む薩摩の地域教育の仕組み「郷中(ごじゅう)」に見る教育的背景など歴史的民俗学的見地からの検証を進めることから、" 九州の明日 "の取り組むべき課題が明確に示されてくると思います。

また、" 維新の三傑 "といわれた木戸孝允(長州)・西郷隆盛(薩摩)・大久保利通(薩摩)はじめ、多くの偉人を輩出した明治維新。今年は、其の歴史が生んだ一人でも多くの偉人に光を当てる年としようではありませんか。" 光を当てる "ということは、其の人物に、" 再び生命を吹き込む "事に他なりません。そこに初めて私達が偉人に学ぶ、熱い " 志 "や " 哲学 " が浮き彫りにされてくる、これこそが次世代へ贈る最高の資産となるのではないかと思います。

新しい年にあたり、皆様方のより一層の御活躍とご健勝を祈念申し上げ、併せて、弊団体AIEへの御指導.御支援を賜ります様お願い申し上げご挨拶といたします。

平成30年(2018年) 元旦

一般社団法人 地域企業連合会 九州連携機構

会長 小早川 明德

→代表者挨拶 バックナンバー