福岡県市民教育賞

一般社団法人 地域企業連合会 九州連携機構

教育者奨励賞 受賞

大分友愛病院 医学博士/臨床心理士 春口 徳雄 氏

 ロールレタリングというカウンセリング療法は、もともとあったものではなく、矯正界で青少年の更生に携わった20年余の間の模索と出会いによって生まれたものです。本人の気づきをどのように促すかが彼らのその後の人生に大きく影響すると痛感していました。いろいろな技法を勉強していた中、定年退職を数年後に控えた最後の赴任地で、教官が少年に手紙を書くことを指導していた場面に出会い、手紙を書くことと、それまでに勉強してきた理論や技法が頭の中で一つに繋がり始め、自分なりに体系づける始まりとなりました。
 それからは、妻に言わせれば何かに取りつかれたように、全精力を降り注ぐ毎日となりました。勉強会を立ち上げ、先生方と論議したり、効果をいろいろな方に説明したりしましたが、自分の思いがなかなか伝わらず理解を得ないことも多々ありました。当初はこの、ひとりで行う往復書簡形式の自己カウンセリング療法を「役割交換書簡法」と名付けていましたが、いまひとつ固くニュアンスが伝わりにくかったため、「ロールレタリング」と呼ぶようになりました。もともとあったロール・チェアという技法にヒントを得た技法であるためであり、受け入れ易いのではという思いもありました。しかし、一方では、この見慣れない技法の名を「ロールキャベツ」と一笑する関係者もいて、賛同を得ない苦しい日々もありました。それでもこの技法への熱い思いは変わらず心の底にありました。
 ふりかえると、昭和59年に日本交流分析学会大会において「ロールレタリング-自己洞察の技法として-」という演題ではじめて発表を行った頃から支持を得始めました。そのロールレタリングの研究発表の会場で、資料として「ロールレタリング-親の心・子のこころ」という小冊子を参加者に配布し、発表を終えたあと、参加者から小冊子を欲しいと要請が相次ぎ、ロールレタリングに対する関心の深さをあらためて感じました。これに希望を抱き、「ロールレタリングの理論と実際」という課題に取り組み、矯正、医療、学校教育、健康福祉の分野で臨床研究を重ねることになりました。
双方の立場から内心を見つめ、自己受容と自己対決により自己の問題性に気づき、過去の認知を改め、自己の真意を自覚するとともに、感情移入的理解や共感性を高めることを文面で行うこの気づきを中核とする自己カウンセリングの心理技法は、口頭で表現することをためらう日本人の心性に合っているのではないかと思われます。
 自己の内面にあるいろいろな感情や態度、特に相反するものを個人化(擬人化)し、それぞれの空椅子に座らせて、個人がもつ両極性の対話を図るゲシュタルト療法の空椅子の技法にヒントを得たものです。心の中の矛盾やジレンマに焦点を当て、気づきを促すとき、自己治癒力としての心のホメオスタシスが作用し、ジレンマが解消される、という考え方に基づいています。相反する2つの力は、ありのままの姿で戦う機会を与えられると相手の存在を知るようになり、さらには互いに相手方を許し、妥協を求めるようになると想定されます。人は自らを変えるためには自分自身にも秘めていた事柄をジレンマ、すなわち、内心の葛藤としてとらえられるようになることが必要です。こうしたゲシュタルト療法の技法を応用して、相手に手紙で訴える往復書簡を通じて、自己と他者との役割交換を行うとき、自己のジレンマに気づき、問題の解決を促進することができるのです。
 ロールレタリングの臨床的仮説として次のような作用があります。(1)文章による感情の明確化(2)自己カウンセリングの作用(3)カタルシス作用(4)対決と受容(5)自己と他者、双方からの視点の獲得(6)ロールレタリングによるイメージ脱感作(6)自己の非論理的、自己敗北的、不合理的な思考に気づくというものです。
 今の日本の状況を鑑みると、経済的にはここ数十年成長してきたにもかかわらず、心の問題は、うつ病的症状を訴える人、いじめに悩む人、自殺に至ってしまう人など目になかなか見えにくい問題をかかえる人が増え、この社会の在り方を含めて、そこに生活している一人ひとりが自分の在り方を真剣に見つめる必要性がますます高まっているように思います。
 恩師である日本交流分析学会理事長の杉田峰康先生は「ロールレタリングは、さらに客観的、科学的な研究を重ねることで、日本のみならず世界の人々にも役立つ心理技法として発展することが期待される。」と述べてあります。九州大学に留学されていた孫穎先生(天津大学准教授)は拙著『ロールレタリング入門』(杉田峰康監修、春口徳雄著、創元社)に注目され、帰国後、中国語に翻訳されています。同じく第5回市民教育賞に受賞された中学教師(医学博士)の岡本泰弘氏は、ロールレタリングの効果を脳科学から解明し、心理学と脳科学を結び、現場で応用できる知見を導いてくれています。小さかった勉強会から、研究会を経て日本ロールレタリング学会となって30年近くの年月を経て現在にいたっています。
 今後、より多くの方々にこの療法を知っていただき、国境を越えて人間関係を基盤とする様々な問題に悩む人々のために役立っていくことを切に願っています。

大分友愛病院 医学博士/臨床心理士
春口 徳雄 氏

西九州大学名誉教授。医学博士。臨床心理士。日本交流分析学会会員。1925年生まれ。熊本大学教育学部卒業。法務省法務教官として少年の矯正教育に携わる。国連アジア極東犯罪防止研修所研修員、社会福祉学科教授、大分友愛病院勤務などを経る。1980年代前半からロールレタリングを理論的に構築し、ロールレタリング研究会および日本ロールレタリング学会を立ち上げる。著書に『ロールレタリング(役割交換書簡法)入門』(創元社)等。本年9月『ロールレタリングの可能性―心の教育・治療から日常の問題解決まで』を(創元社)出版。他、論文等発表。