「平成」から「令和」の御代へと時代は移る。日本の国柄、日本人、そして、日本の精神文化が、御皇室の諸行事を通じて、広く“知らされる”ことで、この“替わる”ことの意義を改めて考えさせられる今日この頃である。宇宙の営みも、地球の営みも、そして、人としての営みも、“替わる”こと、“変わる”ことを常としつつも、“変(替)らざる”こと、の本質的な“継承される生命文化の価値”を知らされる機会となった。文明的進歩が競われ評価される今日にあって、歴史や伝統、慣習などの民族的文化価値を問う“御代替り”は、国民は言うに及ばず世界の指導者へ深いメッセージを贈る意義ある「世紀の祭典」となったことをよろこびあいたい。
経済界においても、政府の働き方改革への対応が迫り来るなか、AI・IoTの限りない進歩が怒涛のように大きく経営環境の改善を迫って来る。ニュービジネスの領域でも、全く予想だにしなかった、FacebookやLINE、You Tubeをも超える事を夢みる若者が挑戦する。今、これらの状況下で求められるのは、事業としての“めざすもの”への使命観であり、人としての倫理観や品性である。それはまさに、生きとし生けるものの「生命」の本質的価値の追求と相俟って、人間としての“生命的営み”の原点回帰であろう。
京都大学霊長類学者 山極 寿一 先生は、正月の日本経済新聞に寄稿され、「人は一人では生きられない。自分と他者が世界を共有して生きるのが人間である。人の定義はそこに行き着く。AIにはこうした関係性は築けない。創造や目的意識は感情や欲求がある人間にしか設定できない。」と問いかけている。
人間の欲求が文明を創った。その生命文明の進歩の第一歩が、その昔、衣・食・住の生活への欲求だったに違いない。その時代、慎ましい小さな生活の中に大きな地球があった。経済・資源・領土と人間の限りなき欲望が交錯する現代においては、通信・情報・技術の世界化で容赦なくその垣根を越え融合し合う。一方では、地球の温暖化や汚染による生態系や環境の悪化は、或る極限を越えて“自然の法則”という地球の秩序を破壊していく。その傍ら、人間社会では今尚、獣道の如き相剋の覇を争い「進歩という自己破壊的な幻想」を追い求め、その倫理なき欲求は止まることを知らない。この“新しい産業の世紀”と呼ぶに相応しい“大転換の時代”、その生命の意志に叛こうとする“「煩悩・欲望」という名の反逆者の飽くなき欲求“が巻き起す三角波が渦巻く今日である。
そういう中にあって、わが国は、どのような未来を創ろうとするのか。どんな日本人を育てようとするのか。教育政策と産業政策、あるいは労働政策の整合性はあるのか。放し飼いの動物園にも似た“放置国家日本”。考えれば、養殖場の撒き餌にも似たわが国の政治と行政の現状で、矜持ある健全な日本人が育つのか。国際社会を生き抜ける日本人が育つのか。
それ故に、われわれ地域企業連合会は、日本人本来の逞しい生命力旺盛な創造力、圧倒的な文化力の再生に向けて、九州を起点として誇り得る日本の建設に立ち上がりたいと思うものである。
令和元年5月
一般社団法人 地域企業連合会 九州連携機構
会長 小早川 明德
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