「小倉祇園」は、小倉城を築城した細川忠興が、無病息災を祈るとともに、城下町繁栄策のひとつとして、元和三年(1617年)に祇園社(現在の八坂神社)を建て、京都の祇園祭を小倉の地に取り入れたものです。江戸時代の小倉祇園は、いろいろな趣向を凝らした山車などが随従するという豪華なものでした。
しかし明治時代以降、小倉祇園は山車に据え付けた太鼓を叩き、それに調子をとるヂャンガラ(摺り鉦)が加わり両面打ちの太鼓を主体とした祇園へと展開しました。
小倉祇園太鼓は、全国的にも珍しい両面打ちを特徴とし、その打法は著しく発展を遂げました。1958年4月には、福岡県指定無形文化財(現在では福岡県指定無形民俗文化財に指定替え)に指定されました。